ゆったりと流れる川面に夕日が沈む。
子どもの頃から見慣れたフルサトの風景だ。
猛暑が続く関東に里帰りした時のことである。
「何でパパと結婚しちゃったのかしら。」
亡くなって20年近くになる父のことを思い出しながら
母が呟く。
まあね、気持ちは分かる。
父はなかなか大変な人だった。
アルコール依存症という病気を抱えていた父がいた我が家は、
私が物心ついた頃からドタバタしているのが当たり前。
近所にはとても優しいお父さんがいて、
「あの人がパパだったら良かったのになあ、、」
と、何度妄想しただろうか。
父は、子どもの頃から優等生で、
近所では女の子みたいに穏やかな優しい子
と評判だったらしい。
百科事典のような人で訊けば何でも知っていたし、
雑学も豊富でギャグも冴えていた。
何より、絵や音楽などのアート、美しいものが好きで
絵画展があると小まめに足を運んでいた父。
私も小さい頃から父に連れられ、
色々な絵をたくさん観にいった。
そういう父が、お酒を飲むと
顔つきがガラリと変貌して暴言を吐く。
その姿はまるで別人。
私は「パパの中にもう一人、別のパパがいるのかしら。」
なんて幼心に思ったりもしたものだ。
子どもの頃は、父がお酒を飲み変身スイッチが入ると
「さあ私は今から貝になるぞ。」と自分に暗示をかけ、
父の機嫌を損ねないよう口を閉じ、
暴言が耳に入らないよう
自分の周りに見えない壁をつくってやり過ごした。
そんな父との生活は、気が張りつめ緊張感の連続で、
私は次第に逆三角形のようにぐらぐらと
不安定な土台を持つようになっていったと思う。
ところが、私が中学生になった思春期真っただ中の頃、
ある転機が訪れた。
父が体調を崩し、ピタッとお酒をやめたのだ。
穏やかな、普通の日常が我が家にもやってきた。
クリスマスを祝い、
お正月にはトランプやカルタで夜更かし。
私は、伸び伸びとした毎日を過ごし、
家族団らんの時間を存分に味わった。
そんな日々が10年近く続いたあと、
また父はお酒を飲むようになり
結局体を壊して天に召されたのだけれど、
穏やかな家族団らんのひと時は
私たち家族をゆっくり育み、
壊れていたものを一つ一つ積み上げていくような
そんな時間だったように思う。
深い闇の中に射した光の輝きは強く、
大きな力を放つものだ。
色々な話のできる年の離れた友人が、
「何でも7対3なのよ。」
と、話してくれたことがある。
何にでもいいことも悪いこともあって、
どちらを7に持ってくるかで人生は大きく変わる
というのだ。
嫌な思い出、哀しい思い出に囚われ過ぎてしまうと
自分の中に硬い滞りができてしまい、
それはなかなか厄介だ。
大丈夫なのに、もう恐くないのに、
逆三角形の私が時折り顔を出して
感情が爆発してしまうこともあった。
壁で囲ってしまった小さな私が声をあげるのだ。
だから私は、哀しい思い出も、楽しい思い出も
カラーヒストリーで可視化していく。
そして「大丈夫。もう恐くないよ。」
と、「安心の土台」に立っている自分を
確認するのだ。
表に出せた哀しい思い出には光が射し、風が通る。
楽しい思い出は、私にパワーを与えてくれる。
過去から「いま」へ、少しずつ意識がシフトしていく。
いいことも哀しいことも両方あっていい。
どちらを7に持ってくるか、自分の捉え方ひとつだ。
私は、自分を開きミライを創っていきたい。
何かで見聞きしたことがある。
亡くなった人の好物を
その人のことを思いながら食べるとき、
亡くなった人も一緒に味わっているのだとか。
ちょっと皮肉がかったおやじギャグを言い
ニヤリと笑う父を思い浮かべながら、
好物だった木村屋の桜あんパンを食べた。
ほんのり塩辛いピンクの桜の花が入ったあんパンは
いつにもまして甘い味がして。
とっても美味しかった。
カラーハルモニア
三木 沙織
~お知らせ~
定期開催中のカラーヒストリーワークショップ。
今月は定員になりましたので、
また来月の開催日が決まりましたらお知らせします(^^)
ありがとうございます♪